あれは中学1年の時です。英語の授業が始まり、書き取りで筆記体の文字を褒められたことがきっかけかもしれません。ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字、文字を綺麗に書くことに喜びを感じ始めた時期だったと記憶しています。

漠然とした興味を持ちながら時は進み、21才でホテルマンとして社会人になりました。

当時のホテルの入口には、団体名の歓迎看板があり、○○○○御一行様という看板が10枚~20枚、多い時には50枚程が掲げられており、書く方というのは、夜勤の年配者が書いていました。数名で書いていましたが、個人的に自分のほうが上手く書けるかも?と思える字の方もいましたが、そこは出しゃばらずに見守っていました。

月日は過ぎ、書き手が1人減り2人減りというなかで、書いてみたいという衝動にかられ、書いては消し書いては消しの繰り返しで、何枚か書くと職場仲間から、Sさん上手でしょう!という言葉をもらい、ちょっとした喜びを感じていたことを思い出します。転勤で他のホテルへ異動すると、夜勤の年配者の方と自分とで書いたり、会議室や宴会場の入口の行灯に至るまで書く機会が増えていきました。

 そして月日は流れ、ホテルを退職し生命保険の営業を経験後自営業をしている時期に、以前在籍していたホテルに入っていた花屋さんのオーナーが、自身の店舗で講師を呼び書道教室を行うので、Sさんいかがですか?とお誘いがあり、時間も自由になっていた時期なので即決で参加の意思表示をしました。その講師というのが、ラジオAIR‐Gの創設から一世風靡したパーソナリティの「カラス」さんだったのも、参加に至ったひとつでもあります。

幼い頃から書道を習ったことのない自分としては、講師に、はらい・止め・字のバランス等々を教わり、教室の考えとして自由な書を書くということなので、型にはまらない書を楽しみ、その書をフェイスブックにアップしていいね!をもらうのも日々の楽しみのひとつとなり、いいね!の数が増えていくのも嬉しい限りでした。そんな中、とある飲み会で遊びで書を書いてますという話をすると、商品パッケージに書いてくれませんか?というお話を頂きました。素人の自分に大丈夫かな?と不安が残りましたが、練習を重ね遂に商品となり、現在では、秀岳荘や自衛隊の売店等に陳列されていると聞いています。

 この様な流れで現在に至りますが、書を書いていると、今度は上手く、今度こそ上手にと音楽やスポーツに似た感覚があります。字の意味を知って自分と向き合い、書は心を写すものであり精神鍛錬であると思っています。字を見れば性格が分かるといいます。

 そして、この流れと相まって、神社で頂く御朱印の文字に魅了され、全国の神社に参拝し御朱印旅へと進んでいったのであります。この旅は続く

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秀岳荘や自衛隊の売店等で販売しています。